かえたい らいふ

人生変えたいからブログを始めてみた

友達って作るものなのか

こんばんは。
日付が変わってしまったけど、寝てないのでセーフということにしたい。


季節は春。
春といえば、出会いと別れの季節。


私は、この春から新しい環境に身を置く。
なのでここ最近はガイダンスやら新歓やらで、人と出会う機会が格別多い。


人と出会うことで生まれる悩み。
それは、

「友達って、どうやって作るの?!」

っていうこと。


私は話すのがあまり得意ではない。
なぜか。

・何を話していいのかわからない
・頭がパニックになってとんちんかんな返しをしてしまう
・会話の仕方がわからない
・相手に嫌われたくないという恐怖感を抱くあまり、当たり障りのない会話しかできない→つまらない

などなど。


これはかれこれ6年以上悩んでいることだ。
どうやって会話したらいいのかわからない。


まず、うまく相手に情報を伝えられないのだ。
つまり、頭の中で文章を構築することができず、ダラダラとわかりにくい話し方をしてしまう。
これは、つい最近気づいた。


次に、私はプライドが高く、臆病である。
人から見下されたくないくせに、すぐに「このプライドの高さが相手に伝わっていないか」、「自慢屋だと思われていないか」、そして「嫌われていないか」が不安になってしまう。


この私の中の傲慢さが、醜い心が、相手に伝わってしまっているのではないかと不安になるのだ。
こんな汚い私は見せたくない、と思ってしまう。


また、私は自分に自信がない。
だから、「すぐに人を見下し、傲慢で、わがままで、ネガティブで、サボり魔な私と仲良くなるなんて、相手に迷惑ではないだろうか…」と強く思ってしまう。
これは、いつの頃からかわからないし、なぜそう思いはじめたのかもわからない。
少なくとも、小さい頃はそうではなかった。


ウンウン考えてもどうにもならないことは、重々承知している。


だから、私はこの問題たちを克服するために、ある言葉を胸に刻んで最近は行動するように決めている。


それは、

「友達は選べない」

という言葉だ。


これは決してネガティブな意味ではない。

「友達になれる人は、私の主観で決まるものではない。だから、『あの人と友達になりたい!』という気持ちはしまって、目の前にいる人と良い関係を築けるよう努力する」

という意味である。少なくとも私はそう解釈している。


この言葉のおかげで、今日はある方たちと仲良くしていただけた。
その方たちは話が本当に面白く、私のように外見や第一印象で人を判断することなく、思いやりに溢れていて、私の無能さ、愚かさを思い知らされた。


これからも、まだまだいろいろな人と出会う機会がある。
その時もこの言葉を忘れず、目の前の人と仲良くなれるよう、努力しよう。


そう、改めて誓った春の夜でした。
おやすみなさい。